成就院は、埼玉県越谷市川柳町にある真言宗智山派の寺院です。
元和年間(1615~1624)、真言修行者栄誉によって創建されました。およそ400年の歴史があり、本尊阿弥陀如来をお祀りしています。境内には、山門、本堂、客殿、庫裏、鐘楼堂が建立されており、弘法大師空海、六地蔵、不動明王が祀られております。
- ●1月
- 初詣
- ●3月
- 春彼岸
- ●8月13日~15日
- 盂蘭盆会
- ●8月18日
- 大施餓鬼会
- ●9月
- 秋彼岸
- ●12月31日
- 除夜の鐘
毎月第3土曜日午後2時(8月除く)より、成就院客殿におきまして「写経・写仏の会」を開催しております。筆・手本等は、用意してございます(持参も可)。ぜひ、ご参加ください。
成就院本堂には、本尊阿弥陀如来をお祀りしております。阿弥陀とは、古代インドの言語であるサンスクリット語のアミターバ・アミターユスの音写語であり、無量寿・無量光と訳されます。阿弥陀如来は、尽きることのない命をもち、悟りや慈悲の象徴である光明を無限に備えており、生きとし生けるものに現世安穏と罪障消滅の功徳を授け、仏の世界においても安らかで平穏無事でいられるようにと説法をしてくださる仏さまです。
真言宗の開祖である弘法大師・空海(774-835)は、宝亀5年(774)6月15日、現在の香川県善通寺市にお生まれになりました。15歳で都に上り、18歳の時に大学に入学します。
大学では中国の哲学や思想を学びますが、やがて役人としての立身出世を目的とした大学の学問に疑問を感じるようになり、大学を後にし、出家修行者として山林で修業を重ねました。そして24歳の時、「仏教こそが最高の教えである」という考えをまとめた『三教指帰』を著しました。修行中のある夜、大和国久米寺の東塔の下に仏教の究極の教えである密教を説いた経典である『大日経』があることを夢で知り、この地を訪ね『大日経』に出会いました。しかし、『大日経』の内容は難解で、全てを理解することができませんでした。空海は密教を学ぶために唐(中国)に渡ることを決意し、遣唐使船に乗り唐の都・長安をめざしました。この時、空海は31歳でした。
長安では密教の師を求めて諸寺を歴訪し、ついに正統な密教を受け継ぐ唯一の僧侶である青竜寺の恵果阿闍梨に出会いました。恵果阿闍梨は自らが受け継いだ密教の全てを空海に授けました。そして、恵果阿闍梨は「一刻も早く日本に帰り、密教を広め人々を幸福にするように」と空海にすすめました。
帰国後、空海は真言宗を開き、高野山金剛峯寺を建立し、東寺を下賜され、それぞれを拠点として活躍しました。
その活動は、宗教活動はもちろん、教育機関である綜芸種智院の設立などの社会事業にも努め、多岐にわたりました。
そして承和2年(835)3月21日、高野山で62歳のご生涯を終え、入定されました。
真言宗とは、弘法大師空海を宗祖とする日本仏教の一宗派です。教主は大日如来です。大日如来は悟りの世界そのものであり、大日如来を中心に諸々の如来や菩薩が調和して存在する世界を図示したものを曼荼羅といいます。当山の本尊である阿弥陀如来は、大日如来の徳の1つである妙観察智を司っています。
真言宗智山派は、平安時代後期に高野山金剛峯寺の座主を務め、和歌山県の根来寺を開創した興教大師覚鑁の教えである新義真言宗の流れをくんでおり、根来寺の塔頭寺院であった智積院を玄宥僧正が京都の東山に再興したのが、真言宗智山派の興りです。
当山は真言宗智山派に属しており、総本山は京都東山の総本山智積院です。また、大本山は成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院です。
仏教の世界観や経典の教え、内容などを図絵で表したものを、曼荼羅といいます。真言宗所依の経典である『大日経』と『金剛頂経』について、『大日経』の教えを図示したものが右の胎蔵曼荼羅、『金剛頂経』の教えを図示したものが左の金剛界曼荼羅です。胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の2つをあわせて、両部曼荼羅または両界曼荼羅といいます。
六地蔵は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という6つの世界を巡り、様々な姿に変わりながら生きとし生けるものを救済します。
不動明王は、右手の剣と左手の羂索(縄)によって衆生の煩悩を断じ、大慈悲をもって私たちを救済します。日本において、不動明王は弘法大師空海による請来以降、無類の信仰を集めています。